沖縄伝統空手について動画と写真で紹介しています。

沖縄伝統空手

沖縄伝統空手

沖縄県空手の日 記念演武祭2016 OFFICIAL CHALLENGE (那覇国際通りてんぶす館前)
59秒

那覇市国際通り那覇てんぶす館前にて沖縄空手ギネス世界記録に挑戦!空手の日 記念演武祭が行われました(Octobar 23 2016)

空手演武3973人 ギネス更新 国際通りで記念祭
1分15秒

空手のギネス世界記録に挑戦する「空手の日記念演武祭」が23日、那覇市の国際通りで行われ、3973人による形の一斉演武が認められ、ギネス世界記録の更新が認定された。

空手の歴史【改訂版】

9分05秒

2020年に東京オリンピックに採用された空手
映像で空手の歴史を探る。
*前回同じタイトルでアップしてありますが、写真画像とテロップが相違していましたので、再編集してアップしました。

ナレーション原文 (映画:黒帯より)

【南海の神技是空拳】

いわゆる古来より手「(ティー)と呼ばれ琉球で花を咲かせた護身の術である。
ティーとは人間が自己防衛をする本能の事で、その防御方法は生存するに必要な手段である。
敵の攻撃から自己を無意識に防御する本能が、ティーの祖型で手舞(ティーモーイ)と呼び、その技を高め先達は空手へと進化させたのである。

【空手の精神と道】

古の達人いわく「身に身鉄を帯びず平時に於いては、心胆を練り寿康を計り、急に際しては身を護る術也と説く、即ち多くの場合、肉弾を以って敵を倒す事を原則とす。
然りといえども機に機に臨み変に応じて武器を使用すること無に非ず」。
それゆえ「人に打たれず人打たず、事なきをもととするなり」の格言や、更に「空手に先手なし」の精神文化、君子の武術を人々は「空手」と呼び、ついには精神性の高さや哲学に裏打ちされ「空手道」と呼ばれた。

【歴史の概念】

空手は、唐の国、中国から伝来された武術である。更に言うならば、メソポタミア地方、トルコ地方にあった拳法の技がシルクロードを経てインド・中国へ、そして琉球に渡ったルートの他、マリンロードすなわちインドネシアや南方方面を経由して琉球に渡った説がある。
中国経由のルートを説くと、少林寺法典では琉球空手の大祖といわれる達磨(ダルマ)と称し、インドのバラモンにおよそ1,500年前に生まれ、シルクロードを経て華南省嵩山(スザン)に至り「少林寺」を建造し不動尊道場を建て、健康法と唐手の予備運動の原典とされる「易筋経」(えっきんきょう)すなわち空手に必要な筋肉とすじを鍛える法と、心の垢を洗い「気」を鍛える法「洗髄経」(せんずいきょう)の二経を著したと伝えられる。
そして泰山の強者「石敢當」(イシガントウ)と共に組合術(くみて)を交わしながら武術を高め、高弟の慧可とワンシュウに伝授したのが拳法の歴史的概念である。
空手伝承説は他説もあるが、その拳技が琉球に伝承され、手(ティー)に多大なる影響を与え現在の空手へと成長した。

【沖縄から日本全国へ空手が普及】

1895年、この年、大日本武徳会が京都に設立、武道家優遇策として称号「範士」「教士」「錬士」が設定され、柔道・剣道が本土の中学・師範学校に正課として採用、いよいよ武術が大衆へ向け普及されるきざしが見えてきた。
一方、沖縄に於いては、空手は、一子相伝の伝承形態が色濃く、秘密裡に指導する事が一般的であったが、中国から帰った東恩納完量(ひがしおんなかんりょう)により、1889年、沖縄で初めて唐手術道場を那覇にて開設。
1901年、首里手の糸洲安恒(いとすあんこう)により首里尋常小学校にて空手指導が始まり、連鎖して県内の学校へ公開された。
日本本土と交流が盛んになるにつれ南海の神技是空拳”唐手”が文部省にも届くようになり、1992年本格的招聘を受けることとなった。
文部省主催第一回体育展覧会が東京で開催され、船越義珍、儀間真謹が空手を紹介。
その年の11月には「琉球拳法唐手」が本土で船越により著述。
柔道の嘉納治五郎、剣柔道等の協力もあり、慶応大学において1924年頃から唐手研究会で船越は指導することとなる。
その後、東京大学・拓殖大学等に普及し、1936年には、大日本学生空手道連盟が発足された。
関東方面へ普及する空手の伝承の一端である。
一方関西においては、1925年頃、首里手の本部朝基(もとぶちょうき)が外人のプロボクサーをリングの上で、空手の技でノックアウトした、との記事が雑誌に掲載され話題となった。
1927年、宮城長順(みやぎちょうじゅん)/剛柔流)が立命館大学、京都大学等で指導。
1926年には中国から帰った上地(うえち)流の創始者、上地完文(うえちかんぶん)により和歌山にて道場が開設されるようになった。
柔道・剣道のように、あまり知られていない唐手(空手)が当時のエリート層である大学において指導され、また柔道・剣道の指導者の注目の的にもなり、1933年に大日本武徳会が日本の柔術として唐手を承認。
1905年頃になり唐手が空手へと改称された。
1925年頃においても沖縄では習慣として流派はなく手(ティー)を大きく分類して首里手、那覇手、泊手と大別していたが、本土に普及されるについて、1925年に那覇手が剛柔流、1933年には松濤館流、1940年に半硬軟流(ハンガイヌンリュウ)から上地流と呼称された。
その間に空手の普及は益々大きくなり、糸東流、千唐流、和道流、極真会などが全国へ広がり、現在の状況になっている。
以上のように、日本は古来より武道の精神風土とのかかわりで、その文化や作法も琉球とは異なる歴史を歩んできたが、沖縄空手道は日本武道へ大きく影響を与えて「日本の空手」と発展し、まず1950年代からアメリカへ普及し、その後、今日までの半世紀に瞬く間に全世界へと広まっていったのである。

空手道で磨き空手の精神を鍛える
これ修業なり是道なり

ナレーション:立木文彦 
協力:沖縄県空手博物館館長 体育学空手学博士 外間哲弘


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